「別れ」についての物語 / ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q感想

中学生時代にTV版の虜になり、はや20年弱。
「序」「破」をへて、今回どのような展開になるのかどうしても気になって、ネタバレ回避のために初日に見ました。
まずは呆気にとられ、遅れて強烈な混乱。
凄い、ナディアだ、乱暴だ、カッコイイ、酷い、これ旧だ、なんてこった、あーやばい。
などと、まるで要領を得ない感想を持て余しながら過ごしておりました。
そして様々なレビューを読んでいろんなことを思いつつ、今日もう一度見て感じたことを書きます。


【ネタバレ注意!】



















前作「破」の終盤、シンジは「大切な一人を助ける」という願いを遂げるために、己と世界を犠牲にした。
そのドラマはとてもヒロイックに描かれていて、これまでヘタレだったシンジの見違えるような覚醒に劇場も沸いた。予告でのアスカ復活には万雷の拍手さえ起こった。


でも、クライマックスの中、赤木リツコは確かに「世界が終わるのよ」と言っていた。
そして目覚めると、14年後。
リツコの言葉通り、世界が終わりかけていた。


初号機を貫いたカシウスの槍は、初号機の覚醒を停めはしたものの、ゼーレの補完計画を前進させるのには既に充分だったらしい。人類は「インフィニティ」への進化のために量産エヴァの様な姿に無理矢理変えられ、半数以上が死に絶える。
役目を終えた初号機は、シンジとレイを呑み込んだまま四次元立方体型の棺に閉じ込められ、衛星軌道で眠る。
葛城ミサトら一部のネルフスタッフは、「ヴィレ」という組織として古巣と袂を分かち、ゼーレとゲンドウの野望を打ち砕かんと戦艦「ヴンダー」を奪取、そして、シンジを取り込んだままの初号機も主機として回収する。


一部のレビューに「ヴィレのスタッフがクズ」「説明が足りない」という批判があったけど、まさにシンジも同様の心境で舞台に放り込まれる。
そんなシンジを憎しみの眼差しで見つめるヴィレスタッフ。
「何もしないで」と言い放つも、DSSを作動できない艦長ミサト。それを痛ましげに見つめる副長リツコ。
エヴァに乗るのはホンマ勘弁してください」と頼むトウジの妹。
ぱっと見確かに冷たいけど、そこには葛藤が密かに描かれている。


もともと国連直属の超法規的軍務機関で世界最高の地位ともいえる組織のネルフ
使徒との決戦というリスクはあるものの、戦い続ける意志があるならば、所属しながら反旗を翻すこともできたはず。
死ぬのが怖いのならば、辞めて海外にでも越せばいい。
わざわざ愚連隊の「ヴィレ」を旗揚げして、世界の最高権力から決別するには相当な理由があったはず。


たとえば、大切な人を失うとか。


ネルフの計画を手助けした少年」とか「平和を乱す者」みたいな理由では、シンジのことをあれだけ憎悪のこもった眼で睨まないと思う。
ヴィレのスタッフは、自分の肉親や恋人、友人をネルフの独断によって失ってるひと達なのではないだろうか。
トウジもヒカリもケンスケも、恐らく死ぬか、エヴァ化してる。
使徒による攻撃ではない、ネルフ(ゼーレ)の真意による「災い」によって、理不尽な「別れ」を突きつけられたからこそ、ミサトらは「人類の救済」以上の切実な目的で「ヴィレ」を立ち上げたんだと思う。


だから、ヴィレは碇親子が憎いという共通の感情を持っている。
結果を顧みず無責任にトリガーを引いた息子と、それを確信犯的に「暴力」として振るった父親が、自分の、そして大勢の「最愛の人」を奪った、と。
大抵の場合、物事の現場から遠いほど、事情や過程は見えなくなり、結果のみが評価されるようになる。
きっと、トリガーを引いたシンジの気持ちや、そこまでの過程を知らない、会ったこともないスタッフであるほどシンジへの憎悪は強い。
つまり「復讐心」がヴィレの大きなモチベーションになっている。今すぐにでもこの手で殺したいクルーすらいるはず。


ところが、そんなヴィレの最高責任者であるミサトが、一番シンジの近くにいた。
トリガーを引いた時のシンジの気持ちを知っていたし、あろうことか背中を押しさえもしていた。
副長リツコもミサトの相棒としてシンジの戦いを見てきたし、サクラは殺された兄がシンジを信頼していたことを知っている。


ここに、ヴィレ首脳とその他の溝がある。


この「人類淘汰を掲げる組織への個人的復讐」という構造は、各レビューでも書かれている通り「不思議の海のナディア」のノーチラス号そっくりで、
大塚明夫さんが出演、ヴンダー艦橋に黒肌の女性スタッフがいて、更にBGMが「バベルの光」「起死回生(不況不屈)」「万能潜水艦Nノーチラス号」と冒頭から3連続。
「ヴンダーのカラーリングがN-ノーチラス号に似てる」との感想もあり、ほぼナディアじゃん!とも思うけど、じゃあネモ船長=葛城艦長か、というと、そこにはハッキリと差異がある。
ネモは、敵対するアトランティス人でありながら、彼らに人生の一部を奪われた地球人と意志を共にし、ネオアトランティスと闘う。
しかしクルーの心情に「アトランティス人憎し」という明確な感情はない(ネモ愛し憎し、は一名いた)。だからナディアにも優しく接するし、むしろネモだけがナディアとの距離を計りかねていた。
一方、ヴンダーのクルーは全員シンジを明確に憎んでいる。
強引に例えるならば、記憶喪失のガーゴイルがN-ノーチラスに拿捕されるようなものだ。クルー共通の敵。


きっとミサト個人の標的に碇シンジは含まれていない。
しかしミサトは艦長としてヴィレの憎悪を背負い、部下たちを勝機の見えない戦いに駆りださなくてはいけない。
だからこそ、DSSを認め、クルーの総意を代弁した態度でシンジに接さなくてはいけない。状況によっては自らの手で殺さなくてはいけない。
それは、「破」のラストでシンジの背中を押した、己への贖罪だとすら思ってるかもしれない。
ヴィレの中で、誰よりもミサトが迷い、苦渋の決断を下し続けている。


カヲルが命を絶たれる直前、ミサトは「シンジ君」と呟く。「序」「破」の時のような慈しむ声で。
もしかしたら加持ですらシンジのせいで死んでるかもしれないのに。


そんなミサトから、シンジは冒頭、容易く「逃げる」。
「理解できない」という理由で。
逃げた先で出会うのは唯一の理解者カヲル。
シンジは、カヲルの無条件の愛で癒されるが、世界を犠牲にしたにも関わらず、レイすら助けられていなかったことを知り、絶望する。


カヲルは、きっと本気で、シンジを救いたかったんだと思う。
世界がどうこうよりも、何よりもシンジのことを優先的に考えていた。それは「序」から一貫していた。
そして、今回ゲンドウはそこにつけ込んだ。
ゲンドウは4本の槍の位置についての虚偽をカヲルに吹き込み、フォースインパクトを狙う。
結果、トラップは発動し、カヲルはまた殺される。
TV版ではシンジに。劇場版ではヴィレのチョーカーに。しかし、どちらもカヲルが「シンジの幸せ」を願ったために。
シンジはカヲルを失う。つまり「全ての理解者」を、失う。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」には、ひたすら「最愛との別れ」しかない。


理不尽な災いによって、大切な人を失った者たち、ヴィレ。
自分を守ってくれた、食事会を企画してくれたレイを救えず失ったシンジ。
無条件で自分を慈しみ、癒してくれるカヲルさえ死なせてしまったシンジ。
ゲンドウの妻、つまりシンジの母が失われた真実と、その行方である初号機とシンクロできない事実。
そして、14年間で多くの命が失われ、その数だけ別れがあったんだと思う。
震災を経た故の感傷かもしれない。でも、どうしても無視はできない。

もう二度と会えないなんて信じられない
まだ何も伝えてない
まだ何も伝えてない


開いたばかりの花が散るのを
見ていた木立の遣る瀬無きかな


どんなに怖くたって目を逸らさないよ
全ての終わりに愛があるなら

桜流し/宇多田ヒカル


シンジが内側に閉じこもってゆく展開は旧劇場版に凄く似ている。
混乱と不安を想起させる描写も。
「破」の時のような拍手なぞ皆無だった。客席には戸惑いしかなかった。正直「でかした」と思った。「アレが帰って来た!」と。


しかし、よくよく考えると圧倒的に違う。
「ヱヴァQ」には、災いによって「別れ」を余儀なくされた者たちの苦悩と戦いが根幹にある。
シンジは関係不全ではなく、世界とレイの喪失によって心を大きく乱し、カヲルを失ったことで遂に「空っぽ」になる。
「ヒトは寂しいから心をひとつにまとめる」という旧劇のような補完計画にはどうもつながらない。


「分かり合えない」ではなく「別れざるを得ない」。
その苦しみから、ヱヴァQが描かれている気がしてならないのです。


そしてその一方で、14年間戦い続けたであろうアスカがいる。
場違いなくらい世界の変貌にビクともしないマリがいる。
何も知らないまま、赤い荒野に放り出されるレイ(仮称)がいる。
アスカは、自己正当化に逃げるシンジを「ガキ」と呼ぶ。マリはただ「ワンコ」と呼ぶ。レイ(仮称)はシンジを殆ど呼ばない。
分かり合う以前に、生き抜くべくして歩き出す14才たち。


「序」で庵野秀明監督は「『エヴァ』はくり返しの物語です」と明言し、最終話タイトルの反復記号で、物語の構造が「繰り返し」であることが改めて示された。
そして「Q」でカヲルは「反復することで成長する」と言った。


「Q」で「旧」と「ナディア」をくり返しながらも、もっと困難な壁に立ち向かっていることに、自分は心を打たれたのでした。
来年でなくてもいい。大団円でなくてもいい。
最終話が登場人物の立ち向かう壁に、少しでも打ち勝てるものであって欲しいと願いながら、DVD発売を待つ。


  • 関係ない話。
    • Mark.9の零+鰻なデザインがかっこいい。
    • 日向と青葉からにじみ出る苦労に泣いた。
    • 既にゼーレ(ゲヒルン?)にいたであろうユイの写真で、周りにいたひと達の素性が気になる。
    • トリガーにできるのがアダムス(の器)なら、それはMark.6、Mark.9、13号機で、残りの1つは4号機だったのかな、と思った。
    • ATフィールドの有無が決定的な違いだったとか。
    • だからこそ「破」での初号機トリガーは「ゼーレが黙っちゃいませんよ」だったのでは。
    • そういえばネブカドネザルの鍵は使ったのか。また食べたのか。あれ多分アダムスだろうに。
    • 空白の14年間を描いた「Evangelion2.5」をOVAで出したら売れると思う。少なくとも買う。
    • そういえばシンジのピアノ上達が速すぎて羨ましいというか妬ましかった。心得があったとしか思えない。
    • 桜流し / 宇多田ヒカル」。ここまではっきりと、失われた命を弔う歌がチャートのトップを獲ったことはなかった、震災から今まで。